7/28(土) K-port
「ラッツォクの灯」気仙沼公演 を観てきました。
メモ
・忘れてはいけないこと。
・推し、世界一美人。
・後半は旅行記。
気仙沼と推し事と私。
某月某日、このシャトナーさんの言葉を見て思い立った。
「小劇場劇団は、いつ解散するかわからない。だから今見に行こう」という旨の意見を、今朝ツイッターで見かけました。それは確かにそうですけれど、いつまで続くのかがわからないのは、別に小劇場劇団に限ったことではありません。個人作家も、商業演劇も、皆同じです。
— 西田シャトナー伯【ジャイ マヒシュマティ】 (@Nshatner) 2018年6月11日
僕も、友人の芝居を見に行くより、自宅で姫とごはんを食べることを優先することは多いです。その時間は大切なことだからです。「行けたらいく」と約束して、気が向かなくなって行かないこともあります。気が向くか向かないか、それも大切なことだからです。
— 西田シャトナー伯【ジャイ マヒシュマティ】 (@Nshatner) 2018年6月11日
作り手も見る側も、自分の人生を愛し大切にし、互いに劇場に集まる奇跡が時々起る。公演が幕をあけるということは、そういう嬉しくてロマンティックなことだと思います。それがいいと思います。
— 西田シャトナー伯【ジャイ マヒシュマティ】 (@Nshatner) 2018年6月11日
そうだ、気仙沼に行こう。ということで飛行機、レンタカーを手配した。何故レンタカーかと言うと、電車だと終電は17時頃だと調べて分かったから。そして泊まると朝の飛行機で帰れない。夜の飛行機にあぶれたら一発アウトである。うん、レンタカーしか無い。ついでに瑞巌寺も寄っていこう、辻本くんたち行ってたし。と軽率な一人旅が決定した。仙台から片道3時間程度の旅。
ラッツォクの灯とは。
熊谷達也さん原作
renzaburo.jp
脚本・演出を赤澤ムックさんが担当され、コマイぬの芝原さん主催とな。
黒色綺譚カナリア派も感じられるメンバーがお揃いなのだろう、と思う。私は実際カナリア派を見たことがないので分かってはいない。
津波により両親と家を奪われ、妹の瑞希とともに仮設住宅で暮らしていた翔平。
震災の影響で心が荒む翔平だったが、瑞希の提案で「ラッツォク」を焚くことになり、 あの日以降止まっていた“時”と向き合う。
東北の港町に生きる人々の姿を通して紡がれる、3・11からの再生の物語。
行く前からそうか、震災の話か…とちょっと怯えていたりした。
感想
原作と大きく変わったのは主人公も妹さんも大人だったということ。(原作では小学生の妹さんと高校生のお兄さんとな)
まー…こう…主観でしか有りませんが…赤澤ムックに弱い男を書かせたら世界一だな!!!!と思う。
翔平(芝原弘さん)の独りよがりっぷりに胸焼けを感じた。モラハラパワハラである日糸が切れて会社に行くことができなくなった主人公、翔平。実家のラーメン屋を継ぐでもなく、引き篭もって暮らしていた。彼女の幸子(牛水里美さん)も両親も、それを見守ってくれていた。あまりにも会社を辞めるまでの電車の経緯がリアル過ぎて頭に浮かんだ。そんな折、妹、瑞希(升ノゾミさん)が結婚をするという電話が入る。お兄ちゃんを焚きつけるしっかり者の妹。妹の声を受け、お兄ちゃんも再就職頑張るか、と一念発起していた。
そして、全てが飲み込まれた。
両親を、家を亡くした。たった一人、肉親の瑞希も心配して傍に居てくれている。幸子もずっと応援してくれている。バイトに明け暮れ、心が擦り切れていく翔平、ささくれがどんどん血を流し始めた。
いやぁね…もう…各所に散りばめられた違和感にむずむずするというか…私原作未読で行ったのでん?ん?って色んな箇所で引っ掛かりながら見てました。一本の線になった時の爽快感と不快感が同居する…ムックさんの凄さを垣間見た。なんで?があ…もしかして…に変わっていくその頃、劇中劇が始まります。
劇中劇、『永遠なる湊』を演じてたんですが…いや…ムックさんが始まる前に席の動線のために指示を出されてて「此処をおじいちゃんが徘徊したりするので~」なんて説明をして場所を開けてもらっていたんですけど…ほんとにおじいちゃん通った…。清子さんが…本当に幸子…?っていうくらい…気付いたら可愛いおばあちゃんがそこにいるんですよ…本当、びっくりしました。感じたことは、幸子こと牛水さんの上手さ。常にずっと存在感とメリハリの要だった…声が聞きたくてむずむずしてしまった…きれいな顔の人はひたすらに正義だと私はだからあれほど…。いやー…守一さんの「清子のあざらは本当に美味しいから」って台詞で涙がゴシャーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーって出た…ふるえた…。
ちなみにあざら、郷土料理だそうな。
色んな意味で胸が張り裂けそうな内容だったので…痛いくらい気持ちが分かって苦しかったです。覚えてるんだよね、そうなの。たまにああやって零されちゃう昔の姿に胸が締め付けられちゃうんだ分かる…すっごく、すごくリアルだった…大変だよねホーム探すの…う…。
升さんの玲奈ちゃんが可愛くて、切なかった…この作中、時間や日程の話が漏れ聞こえてくる度に胸がざわつくんです…もしかして…とか…その日は…とか…全てがあの日を連想とさせるワードで…先のことを考えるだけで首絞められてる気分です…凄く痛かった。
劇中劇が終わり、いい話だったでしょって笑う幸子に、ささくれた翔平が八つ当たる。
ランナーの希(山下恵さん)が諭し、言葉をかけ…っていうシーンも有り…いや、このカップル作中で二回ほど喧嘩するんですけど何をどう考えても翔平お前…って感じなのに幸子健気で…もう…絶対だ(以下省略)
喧嘩をする二人、居た堪れない表情の瑞希。「私が耐えられないの」なんて言いながら出ていく幸子。いや、幸子があまりにもいい女過ぎる…献身的ないい女過ぎて…辛い。幸子の家も両親が不仲で…だったけれど、家も幸い助かり、両親も仲直り。翔平は面白くなかったと。心が狭い(渋い顔をしていた)。
全私が幸子の幸せを祈ってしまう結果となった。幸子綺麗だよ。
迎え火と、送り火を焚こうと瑞希に言われ躊躇する翔平。じゃあ来年…ってあっさり瑞希が諦めようとしたらすぐに、焚こう!!!!って言う翔平。本当はずっと分かってた、瑞希が気にかけて、ずっと傍に居てくれたこと。翔平が報われすぎている。人に恵まれすぎている。
「新婚楽しむわ」
ってにっこり笑った瑞希の…綺麗…美しい…に苦しくなる。
最後、窓を開け放ってラッツォク(蝋燭)を焚くんですけど…送り火と一緒にふわっと出ていく瑞希の後ろ姿…ぼろっと来て…気仙沼の景色に溶けていった瑞希を見守り、現実を見て、彼女に電話で謝る翔平、
「話したいことがたくさんあるんだ」
苦しい。とりあえず手を引きちぎらん勢いで拍手。めちゃくちゃ拍手。最初の方の薄ら暗い気持ちを揺り起こして、力の限りの拍手。最後に、推しも並んで挨拶をした。だーだー泣きながら拍手した。天才、天才。終わった時芝原さんが「会場の熱気が…」と仰っており、それに対しムックさんが「芝原くんの演技が熱かったよ」と笑いながら窓を開けていた。優しい言葉だなあ、と思った。とりあえずこの時、私は推し大好きという感情に支配されており、頭の中はアガペーだった。
ムックさんは、嫉妬や羨望や、汚くて醜いところが、それからそれでも、希望を捨てない浅はかな人間像をあまりにもリアルに描いてくれる。自分の醜いところを暴かれている気持ちになる。それを存分に感じ、鳩尾クリーンヒットをかまされ、また、人の優しさと温かさと絆、それから涙。はぁーーーーーー好きーーーーーーー。でもできれば幸子は違う男と幸せになってほしい。
今の所東京での上演は無さそうなのが悔しいくらい、沢山の人に観て欲しい演目だった。勿体無いって感じるくらい、贅沢な舞台だった。
旅のお楽しみ、ホテルの朝食ビュッフェ。昨日はいつも通り和食(ごはん二膳)、洋食、カレーの三段階。
— 赤澤ムック (@muck_c) 2018年7月29日
今朝は粥、焼きそば、カレー、海鮮丼という変則型。キャスト参加でないからこそ可能な食べ過ぎ。作・演出・音響でした。山下嬢はランナーと照明さん。 pic.twitter.com/weSL7R2bMf
音響もやってた。多才。
熊谷達也さんと芝原弘さんの対談(アフト)
ニュアンスと、要点だけ。
「オファーが来て、全然知らない人だったから怪しい人かと思った」
芝原さんめっちゃ笑ってるのが印象的でした。いや、怪しい人て!!!笑。
「赤澤さんのお名前は聞いたことが有った」
私、勝手にそうでしょうそうでしょう…最高ですもんね大好きです分かりますとうんうん相槌を打つ。
「気仙沼は飯がうまい」
ほんとお魚美味しい、美味しい美味しい。
「この舞台、東京でやらないの?」
芝原さん「東京でやるのはすごく簡単というか、楽。交通費がかからないから(笑)でもね、ここまで来て、ここでしか見られないものを作りたい。仲良くなってもらいたい、知ってもらいたい」
まんまとやってきたな。正に。という気持ちでありました。凄く周りが地元の方で埋め尽くされていて、先生のファンの方や情景を思い浮かべる方、お知り合いの方々の顔が嬉しそうでなんで私此処に居るんだろう…居ても良いんだろうか…って改めて思ってしまいました。疎外感を感じたは一切無かったんですけど…それでもこの場はここで生きる人たちのための舞台である気がした。見たいから観るは信条ですが…不思議な体験でした。
報告。『ラッツォクの灯』原作者の熊谷先生から、石巻公演からの疑問「なぜあそこの台詞を変えたの?」に「役者が大人だからです」と答え、ニヤリとされた顔が劇作家としての収穫です。自由に潤色させて下さり、本当に有り難かった。
— 赤澤ムック (@muck_c) 2018年7月29日
推しは天才だな、と涙を流した。
雑感。
軽率にこの話をすべきではないと思う。けれど、腫れ物に触るように扱うのもなんだか違うような気もする。
毎日流れるニュースをあの頃、どこか遠くの異国のように感じていたことを思い出す。辛くなったりとかを感じる前に、私はいつもチャンネルをカートゥーンネットワークに変えていたなと思い出す。無口なウサギがいつも助けてくれたなぁ、なんて振り返る。
気仙沼に行くと決めた時から、あぁ、その場所に行くんだなと思った。街はとても綺麗だった。何も知らなければ、平然とそこにある姿を受け入れていたと思う。
福井も今年大雪が降った。
車が、埋まった。10分で着く会社に一時間ちょっと雪をかき分けて歩いていった。他人事のように報道するニュースを知っていた。雪は溶ければ無くなるけど、同じ次元で置くのはおかしいけど。根本的に当事者には一生なれない。その気持ちを汲むなんても出来るわけがない。国語の授業で筆者の気持ちを考えろと聞かれるのが本当に嫌いだったことを毎度思い出す。
生きなければいけなくて、大多数の場合死ぬタイミングは自分では決められない。良くも。悪くも。辛くても大変でも希望がなくても生きていかなきゃいけない。忘れないこと、忘れても良いこと。塩梅は、難しいと思う。それでも、忘れずにいたいと思う。
先生がきっかけをくれた。とても感謝している。黒色綺譚カナリア派の事も何も知らずにいる。これからのことを考える。たくさん、知っていきたいと思う。今も、昔も、これからも全部。大好きだなあと改めて認識した。
ラッツォクの灯、とても良かった。気仙沼まで行けてよかった。
かけがえのない公演になった。
さて、此処からはついでに旅行記。
仙台→松島へ
福井から小松へ、そして小松空港から仙台空港へ。台風を心配していたけれど急カーブ。薄曇りの中、定刻通り飛行機は飛んだ。
仙台の天気は曇り。レンタカーを借り受けて一路最初の目的地瑞巌寺へ。松島、まさか一人旅で来ることになろうとは。この時点で11時。
瑞巌寺。
中は撮影禁止なので割愛。めっちゃくちゃ綺麗でした。
あと日本三景。曇りぞい。
石巻→気仙沼へ
割とこう、なかなか険しい道。いたるところで、津波到達地点という看板を目にする。目をちろりとする。
此処に着いたのが15時。
さて、公演は19時。
ま た や っ た な お 前 。*1
落ち込みつつ、とりあえず御飯食べるかーってムックさんが前日行ったってツイートしてた気仙沼お魚いちばの鮮へ。
港町レストラン鮮のご案内 うまい!三陸 気仙沼 お魚いちば
歪み無く海鮮丼を食べる(推し飯は)。
ぼけーっと海を見ながら海鮮丼を食べる。生まれも海の側だったからなんとなく見知った土地のようで、それでも雲の形がぜんぜん違うからはー…旅行だなぁ。とぼんやり思う。美味しかった。魚もりもりでもう一膳ご飯が要る。
そしてイオンへ行った*2とにかくぼんやり空を見上げていた気がする。
18時頃、会場に行く。
ふらっと誘導をされていた方に声をかけて、どちらからいらっしゃったんですかと聞かれる。福井ですと答える、驚かれる。どなたかのファンですか?と聞かれ、ムックさんの…とおずおずと言うと「あ、もしかしてツイッターで…」と言われる。何かしでかしましたかね私…と思いつつ思い当たる節しかないので曖昧に笑うに至る。そうだ、私がオタクだ。ネタに事欠かないなと思いながら受付を済ませ、端っこの方で息を殺すに至る。皆さん忙しそうに動き回られている、落ち着かない…なんか手伝いたくなる…。窓の外は暗くなり、19時、公演が始まった。
帰ろうね。
夜な夜な車を走らせて12時頃にはもう仙台空港付近に着いた。車を返すのは朝だ。寝た(布団を持ってくる野良である)。朝起きてレンタカーを返し空港まで送り届けてもらって一日ぶりの仙台空港。不思議と、ただいまと言いたくなった。チェックを済ませて荷物を預け、思う存分伊達な玉子を買う。
http://www.soramiyagetei.com/shopdetail/000000000621/www.soramiyagetei.com
見てくれこの玉子、可愛いが過ぎる。
そして命の水ことずんだシェイクにまた出会う。飲むよそりゃ。ズコココココ。
セキュリティチェックも抜けて、まだ暇だったので牛タンカレーを食べる。辛い。
満足して飛行機に乗り込み、これまた定刻通りに飛行機が飛んだ。今月二度目の仙台、さらば仙台。愛してるぞ仙台。
佐渡が見えた。
小松に着いたら気温が10度程違った。気が狂いそうになる。お家に舞い戻り、一人旅は無事に終了した。
これは私が居ない間に美容室に行っていた犬とおみやげのピカチュウwithホストちゃんの枕。
とっ散らかって全然まとまらないので思い出したらまた追記します。