インフルエンザでなきゃ恋

片側にはにくしみ、もう片側には愛がつまってるの

赤の肖像・黒の景色(赤と黒のオセロ)

2021年12/2(木)-5(日) 新宿アトリエファンファーレ
劇団クロックガールズ赤と黒のオセロ」を観てきました。
 

  • 本年度の総決算木ノ本さん
  • 世界よ。

 
 
 
 

 
 

あらすじ

 

死刑囚とその冤罪を訴えるジャーナリスト、それぞれの視点から描かれます。つまり、キャスト2人による1人芝居。今回は総勢14人の演者が組み合わせをシャッフルしての上演。
 
赤とは、何もないこと
黒とは、何モノにも染まらないこと
空虚
そしてその反対にある揺るぎないもの

正義とは何か?
揺るぎない信念とは何か?
それらの持つある種の恐ろしさとは?

 
 

12/2(✕中村真知子さん)

死刑囚(中村さん)✕ジャーナリスト(木ノ本さん)
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間延びした言葉になるけれど若造駆け出し記者と世捨て人猟奇的殺人鬼だと思った。
あけすけに言うとジャーナリストと死刑囚の間に性別と年齢の壁があり、同視するには難しかった。だからこそひっくり返った瞬間が『意外』だったんだと思う。
私は初見時、何一つ情報を入れずに行ったのでズボラな母親が何故そんなに、人を殺すほどに医者や母親、ひいては愛する子供まで殺してしまえたのか疑問だった。引き離されるくらいなら、この手に収められないくらいなら殺してしまったほうがマシ、という感情が私にはまだ分からない。だからこそ、最初ジャーナリストはまともな人に思え……たまに言動が変で、様子がおかしいのだけれど。二人ともスウェットとシャツが新しすぎてそっちの違和感に引っ張られ続けてしまったけれど特に衣類に意味はなかった。ある意味真新しいスウェットには意味があったか。ピカピカの白い靴を眺め、ジャーナリストの淀んだ、どんどん光を失っていく目に驚き、モヤモヤし、薄暗い気持ちになった。彼の向こう側に語りかける口調は熱を帯びていて、疑ってなんか居なかった。居ない子供の名を呼んで暗転する不気味さと笑顔が、ああ、木ノ本嶺浩さんだと思ったらゾクゾクした。こんなに猟奇的に笑うようになってしまったんだなあとときめいて止まらんくなってしまった、凄い男だ。
最後のシーン、凛とした顔で正義を謳うジャーナリストの目は淀んでなんか居ない。真っ直ぐで、それを正しいと思っている様にさえ見える。『正義』の衣を纏うことはつまり、正しいと思うことなのかもしれないなと思わされるばかりだった。
ぼや、と見てたら寄せてるのか、それとも無意識なのか元からなのか死刑囚さんとジャーナリストさんのくちびるの動き方が同じで感動を覚えた。むい、てうわくちびる上げる感じで喋ってて、陰陽を思った。
語りかける背中を見ている時間も多かった、真横を向いた時の薄っぺらい身体に驚き、線の細い人なのだと改めて思うなどした。
 
 

12/3(✕阿部みさとさん)

死刑囚(阿部さん)✕ジャーナリスト(木ノ本さん)
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阿部さんは美しいし、激昂する年齢としてイメージに合っていて見ているのが気持ちが良かった。感情に任せて子供を叩く親、の勢いが良かったし、三歳の子供に癇癪を起こす幼稚さが兼ね備えられていて、そして諦めている目が凛としていて麗しかった。いやあ、良かった。掃き溜めに鶴なのだろうな、適した言葉はと考える。か細い肩を震わせて罪を嘆き、父と等価交換を迫る顔は悪女のように妖艶だった。いやあ、美しかったな。精神科医のお姿も大変美しく、化けていたのだなと思わせられる。突っ込むだけ無粋だとは分かっているけど一介の精神科医があそこまで迫真の演技を出来るものなのだろうか、と真剣に考えてしまった。非情に無粋、ナンセンスであることは認める。でも総合するのであれば本当、美しかったのだった。
前日をジャーナリストさんとしての初日と呼んで良いのならこの日はものすごく自由だった様に思う。動きも大きくオーバーになっていたし表情も豊かだった。失言を承知でいうとキマってた。熱が籠もり過ぎた結果みねくんの脛を心配した。痛くないか、怪我をしていないか、塗るタイプの何かを付けてくれよと願った。勿論当然というか、この日が一番私はジャーナリストを怖いと思った。髪の毛を振り乱し怯えるように縮こまり震え、次の瞬間には笑っていた。怖いだろそんなもん。
俯瞰で観た、目がキラキラしてた。みねくん、水晶体が綺麗過ぎる。
この回はみねくん縁の方を何人かお見かけしてほっこりした。
 

12/5(✕朝倉伸二さん)

死刑囚(朝倉さん)✕ジャーナリスト(木ノ本さん)
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実に一番しっくり来た。
なるほど、と思った。というか本来こうであるべきなんだろうなと思うほどしっくり来た。
淡々とした口調で小さな声で語られていく今までと同じストーリー、あまりにも今日の死刑囚は上手すぎた。感動しちゃって、ぐいぐい引き込まれちゃってすげえええと思ったら30分が秒だった。俳優って本当に凄い。水だと思ったらワインなんだ(語彙力)。
自由になった結果ジャーナリストさんが凄く怯えているようにも思えた。影を捕まえられていないピーターパンに見えた。これはいいみねくん。小さい子供のように見えたので相手によってジャーナリストさんの影形が随分違って見えた。不思議な感じ。三回目の赤黒に体調が悪いと言うより展開が透けている分、壊れていくジャーナリストさんを見るのが少し辛くて、それよりも楽しみでいることに気付く。まともってなんだろう、普通ってなんだろうと考えながら舞台を観る。何事も平均、正しいが正解とは限らないとなあと考えつつ、私はワンサマーデイがまた聞きたくなった(センチメンタルの代名詞として人生に存在しているのだと思う)。複雑で、単純で忌々しい話だと思う、戦う人の話だとKさんが言って言い得て妙。
観られる側の方で見た。彼の中に死刑囚は存在していたし、対話をしていた。こっちで見ておいて良かったと心から思った。視線の誘導まで全て、対する動きをしていた、恐ろしさが増した。
 
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終演後、よかったら記念にどうぞとポストカードをいただいた。
サイトの構成といい、配布物と良い、いい意味でも悪い意味でも『アナログだなあ』と思った。
 
 

赤と黒のオセロ

朝倉さん回でも溢したが、赤と黒のオセロは元来多分、同性同士での演目ではないのだろうかと考える。
初日を見た時の小さな歪、これは印象操作かもしれないが、世に子供を拳を丸めて殴る親という存在を一般的には認知しにくいのではないかと思う。まあそもそも手をあげること自体がという話になってしまうかもしれませんが、うちの親でも平手だったからなあ。朝倉さん回でようやく体罰の形がするんと腑に落ちた。
あとお母さん側の感情とお父さん側の感情は違うものが有ると思うし、同じ様には子供に対する感情が存在するとは思いにくい。だからこそ楽で良かったなと言う気持ち、それから最初からこうで観たかったという気持ちも強い。男女ペアの場合もう少し話がテコ入れ居るんじゃないのかなあ。とも思う。あと世代がずれるとまた話がややこしくなったので中村さん回にも多少の違和感を感じた。
 
告発アカウント「赤と黒のオセロ」とはなんだったのだろうと考える、劇中では正論=正義とされ、揶揄する考えも見受けられた。
正直自分の気にそぐわないものを正しくない目で『敵』というのは簡単で、安易に正当化出来る手段だと思う、自分もよくやるので。ただ、それってどこに基準をおいての『正義』なのかなと思うから正義が悪なのかも私には分からない。
あくまででも、遺伝子に刻み込んだ親のやり方次第で人は壊れたり作られたりするのだと思うし、私は親のことを破天荒だと思って生きてきたけれど存外まともだったのだなと思う事案にも直面している。愛情とお金をふんだんに注ぎ込まれた結果割とメンタル超合金スタイルが出来上がった運極振りの私が出来上がってる訳だけど。親のしてくれただけの事を次世代に、と思うと私は親にはなれないなと思ってる。
 
親というのは子にとって『世界』であり家庭は『箱庭』なのだと色んな作品を通して思う。思想を築き、倫理観を植え付け、常識と言いながら非常識の温床にも出来るのだから恐ろしい。自分のDNAを受け継いだ相手にする非情を思い、苦しく思う作品が世に蔓延っているということは……と、気付かされることばかりである。
劇場に行く前日、幸か不幸か久々に母に会った。殆ど眠っていたし、自分の年齢を十も若く医者に答えていた。悲しいと言うよりも感情が生まれず、複雑な気持ちになった。私の知る料理が上手で、誰よりも元気で楽しい母はもう居ないのだなと想わせられる。しみじみした。この人が死んでも私はきっと、犬が死んだ時よりも泣けないのだろうなと姉に言われた言葉を思い出す。奇麗で優しくて悲しい感情だなと思ってしまう。母と離れて住むようになり、もうじき十年なんだなと想わせられる。
 
複雑な気持ちを抱えまくる舞台だった。
色んな意味で、良かった。
 
 
 

俳優、きのもとみねひろさん。

しみじみ、彼の立ち居を見て考える。と言うか、眺めてきた日々を思い返す。
彼を理由にやってきて、彼を見て、彼を語るというルーチンを繰り返し、飽きさせない存在って凄いなと他人事のように思う。綺麗な青年が熱弁し、髪の毛を振り乱し怒り正しいとはなにかに狂いながら怯え、老けてやつれていく様な時間経過を与えられ、脳みそがバグを起こす。これは本当に一時間だったのだろうかと不安にさえなる。私の好きな人は時間もどうやら操れるらしいと知る。大変面白い。
別に長い付き合いになったとも、わしが見てきたとも思いませんが淡々と「観て」来た日々に変わりはなく、蓄積されたものを嬉しく思う感情が自分にも有るんだなと思う。幸せに今日も板の上を喜んでいるのを嬉しく思う。最後に見られた笑顔が可愛くて幸せになったのでにこにこしてて欲しいなと改めて思う。
数カ月ぶりに観たな……と延びてきたスパンのおかげで毎度新鮮な気持ちになれる。
 
おつかれさま、あいも変わらずとんでもなかったね。
 
 
 
 
 
此処から下は舞台あんまり関係ない。
 

まだまだwith。

ふらふらと朝からホテルに入ってデイユース、舞台を終えたらご飯を食べて色々ものを買ってからホテルにチェックイン。東新宿ど真ん中、救急車のサイレンを子守唄に眠る。
 
チェックアウトギリギリの時間まで粘ってぼんやり新宿探検。伊勢丹でウロウロして時計コーナーを見に行ったらパテック・フィリップを見つけて楽しい気持ちになる。バンキーニとロダスのスコーンを買う。Kさんと観劇後クルンテープでご飯。
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生きるとは何かを考える。そういえばKさん、七夕も赤黒も来てシンるも来るので最早みねくんのファンだねとカジュアルな話もする。カジュアルに生きられない人類「死生観」の通いと相違でお互いが苦笑いをする。我々は少し似ているし袂が違うと思ってる。だから相反する部分に関してお互いは干渉し合わない事が最善だとも思う。肯定も否定も時には避けたい、撫でる程度でいい。
真面目な顔をしてご飯を食べ、また年末と分かれる、距離感がバグる。
 
Mさんの家にそのまま行って次の日スコーンを食べてるの発券して天国と地獄をしてみたりママ僕を見たりさてぃすふぁくしょんを観たり。ベランダを磨いたり。ピザを食べたりシュウマイを食べたり。楽の観劇後はカレーも食べた。食うてばっかやった。
会社に割と無理を言って貰った木~日の四連休、弊社の社長が「魂の洗濯してこい」と許可をくれた。洗濯ではなくするのは掃除だが。バンキーニを持って帰ったら喜んでいた。甘いものが好きらしいともうすぐ十年になる付き合いで今年初めて知った。
 
また年末のためにドタバタしていたらこんな日付になってしまった。年末に向けて頑張ろうと思う。もうすぐそこだ。